東京地方裁判所 平成7年(ワ)3025号 判決 1996年5月20日
主文
一 被告は原告に対し、原告から金四〇〇〇万円の支払を受けるのと引き換えに、別紙物件目録記載(二)の建物を明け渡せ。
二 被告は原告に対し、平成六年七月二二日から右建物明渡済みまで一か月当たり金二二〇万円の割合による金員を支払え。
三 原告のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用はこれを五分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。
理由
【事実及び理由】
一 請求原因1のうち、(一)の事実(本件建物の取得経緯)は、《証拠略》によりこれを認めることができる。また、(二)の事実(本件賃貸借契約の締結と特約)及び(三)の事実(賃料額の変動)は当事者間に争いがない。
二 本件解約申入れの効力について判断する。
1 請求原因2(一)のうち原告が平成六年一月二一日に本件解約申入れをしたことは当事者間に争いがない。そこで、右解約申入れが正当事由を具備するものかどうかについて以下に判断する。
2 前記争いのない事実に《証拠略》によれば、次の事実が認められる。
(一) 原告は、昭和三八年三月八日に各種専門学校として設立以来、本件ビルを服飾一般課程、服飾専門課程及び調理師課程の教室並びに本部事務局として使用していたが、昭和四八年に調理師課程について栄養専門課程を併設するため別校舎を建設し、移転した。その結果、調理師課程の教室として使用していた本件建物(一三二・二三平方メートル)が空室となったことから、昭和五〇年三月二〇日に期間一〇年、保証金三〇〇〇万円、賃料月額三二万円で被告との間で本件賃貸借契約を締結した。右期間については、原告は学校経営上本件建物を再度必要とする場合が生じることを考慮し、五年間を希望したが、被告から保証金額を三〇〇〇万円とし、原告に使用の必要性が生じた場合には原告の意向を尊重する等の申出があり、一〇年間と合意された。
賃料は、その後、昭和五五年五月から月額四四万四〇〇〇円(一二万四〇〇〇円増額)に、昭和五六年五月から月額五〇万円(五万六〇〇〇円増額)に、昭和五八年四月から月額五八万円(八万円増額)に順次改定された後、原告が本件建物の明渡しを求めたことから平成三年三月まで据え置かれ、同年四月から月額九〇万円に、平成四年四月から月額一〇〇万円に、平成五年四月から月額一一〇万円に改定され、現在に至っている。
(二) 原告は、昭和五九年九月一三日、望星高等学校との技能提携を行うため、生徒数が増加し、教室が不足するため、本件建物を使用する必要が生じたことから、更新拒絶の意思表示をした。被告がこれに応じなかったことから、調停申立てに及んだが不調となり、更に前訴の提起にまで至った。しかし、被告が投下資本の回収ができていないとして本件建物の継続使用の必要性を訴えたことから、結局、原告の教室不足は他に賃借して校舎を求めることで解決し、右訴えを取り下げた。
(三) 原告は、現在も本件ビルに本部事務局を置き、原告の本拠地としているほか、本件店舗部分を除く部分で服飾一般課程、服飾専門課程の教室として右ビルを使用している。
しかし、本件建物は、鉄筋コンクリート造りとはいえ、昭和三六年六月に建築され、築後三五年近くを経過し、老朽化も進み、雨漏りがし、教室での授業に支障を来す状態もみられ、また、消防署から防火扉の設置や階段回りの防火区画等消防法における改善指導を受けており、原告は一、二年内に建て替える旨回答し、事実上右改善措置の実施を猶予してもらっている状態にある。建物の耐震性についても問題がないとはいえない状態である。
さらに、近年の出生率の低下により専門学校においても生徒数が減少し、学校間の競争が激化していることから、原告においても、学校経営上、校舎を建て替え、設備を拡充し、教室の多様化を図る必要に迫られている。
右の事情から、原告は本件ビルを開校の本拠地として維持し、服飾専門課程の本部校とするため、平成六年二月二日には本件ビルの敷地のうち原告が借地していた部分の底地権を購入するなどして、右ビルを地上四階、地下一階の建物に建て替える計画を具体的に有している。なお、建築計画に係るビルは容積率の関係で現在のビルよりも床面積で二〇パーセント弱減少することを余儀なくされている。
(四) 原告は、本件ビルのほか吉祥寺本町、南町に三ないし五階建のビルを所有し、二葉栄養専門学校等を経営している。しかし、右二葉栄養専門学校は他の専門課程と併用することが禁じられている。
3 他方、前記認定に《証拠略》によれば、被告側の事情として次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
(一) 被告は、本件店舗のほか、昭和四六年から新宿区歌舞伎町に立食そば店舗を、昭和五八年から本件店舗と同種の笹塚店を営んでいる。
(二) このうち、本件店舗が被告の経営の中心である。本件店舗は立地条件がJR吉祥寺駅南口の正面の駅からわずか一〇秒ばかりの場所に位置し、人通りの多い道路に面しているということから、現在二五名の従業員を抱え、二四時間営業で、実績を伸ばし、平成六年度は年間営業利益約七五七〇万円を計上している。なお、平成六年度の笹塚店のそれは約二三四万円である。
(三) 被告は原告に対し、本件賃貸借契約締結に際し、保証金三〇〇〇万円、権利金五〇〇万円を原告に支払ったほか、地下受水槽工事、変電室等の工事費の一部である二四一万四九七〇円を負担している(なお、原告も右受水槽工事費として三〇〇万円を負担している)。
4 右2及び3の認定事実に基づき検討を進める。
(一) 本件建物は未だ朽廃とまではいえないとしても既に築後三五年近くが経過しており、雨漏りもし、耐震性も含めた防災関係においても少なからぬ問題が存していること、原告は本件建物において比較的若い年齢層を対象とした服飾関係の専門学校を営んでいるところ、生徒数の減少傾向の中、年々激化していく各種専門学校間の競争に耐え抜くために、右のような状態の本件ビルの建替えを計画するに至ったことを考慮すると、原告の本件解約申入れには相応の合理性を認めることができる。
他方、被告においても、本件店舗での営業実績、立地条件、賃料が比較的低廉であること、同様の立地条件ないし賃借条件を具備する代替店舗の確保は簡単ではないことを考慮すると、本件店舗での営業継続の必要性は被告の経営上も甚だ大きいものと認められる。
(二) 右の双方の事情を比較すると、被告にとって本件店舗の明渡しは被告の経営に深刻な事態をもたらすことが予測されるものであり、被告の本件店舗の確保の必要性は他にビルを所有する原告の右明渡しを求める利益を凌駕するかのごとくである。
しかし、前記認定の本件賃貸借契約締結において一〇年の賃貸期間が合意された経緯、原告は被告に対し一〇数年前前訴を提起してまで本件建物の明渡しを求めたものの、被告の投下資本を回収していないことを理由とする営業継続の要望を尊重し、右時点での明渡しを断念した経緯、原告の本件ビル建替えの必要性はそれ事態極めて合理的な根拠が認められるものであること、本件賃貸借契約において被告の営業利益が尊重されなければならないことはいうまでもないが、それは被告の営業保証を原告に強いるものではないこと、被告は本件店舗の営業実績が大きいことを強調するが、本件店舗の賃料が平成六年度の右店舗の売上げに占める割合は約五・六パーセントであり、経費に占める割合は約八・二パーセントにすぎず、また、本件賃料は原告が明渡しを求めていたことから昭和五八年以来平成三年まで据え置きとなっているなど、被告の営業利益は右の低廉な賃料負担の下に形成された経緯があり、右の低廉な賃料負担は長期間明渡しを断念してきた原告の被った不利益と比較するとき均衡を失するのではないかと判断されること、そして、右の事情に本件賃貸借が二〇年以上にわたっていることを併せ考慮すると、被告が明渡しを拒絶する理由として主張してきた投下資本回収の問題は解消されておりもはや考慮に値しないものと解されること、また、本件建物の立地条件や賃料等の事情を考えると、被告が本件建物を明け渡した場合に他の場所で直ちに従前どおりの営業利益を得ることは困難であることが容易に予測されるが、右明渡しに伴う減収分をある程度補填することにより、被告においてもその経験と営業努力で対応することが公平に叶うものというべきであること、以上の事情の下では原告が他にビルを所有していることは本件解約申入れの正当事由を否定する事由とはなり得ないこと等の諸事情を総合して考察すると、結局、原告から被告に対し、被告の移転先での営業が軌道に乗るまでの間の減収の一部を補填する立退料を負担させることにより、本件解約申入れは正当事由を具備するものと解するのが相当というべきである。
また、右の次第であるから、本件解約申入れを権利濫用とする被告の主張は理由がないことが明らかである。
5 そこで、立退料の額につき検討する。
前記認定の本件賃貸借契約の締結から今日までの経緯、賃料額の変遷、《証拠略》に基づき、被告が本件建物における営業によって得ていた利益及び本件賃貸借契約の賃料等を基礎に、移転のために余儀なく負担しなければならないであろう費用、移転に必要な期間、移転先での営業が軌道に乗るまでに要するであろう期間等の事情、原告が本件の保証金三〇〇〇万円をそのまま返還する意図を表示していること、その他本件に顕れた諸般の事情を総合して検討すると、原告が本件建物明渡しを求めるのと引き換えに支払うべき立退料は賃料の三年分を目処に四〇〇〇万円と定めるのが相当である。
6 右認定の立退料の金額は、原告の提供申出額を上回るものであるが、前記認定の諸事情の下では、合理性を失しない範囲内のものであり、かつ、原告が立退料の提供を申し出た日以降右認定の金額程度の立退料を提供する意思を有するものと認められるから、前記のとおり、原告が平成六年一月二一日にした本件解約申入れは、その後六か月を経過した平成六年七月二一日の経過をもってその効果を生じ、同日限り本件賃貸借契約は終了したものというべきであり、被告は原告に対し、同日以降原告が四〇〇〇万円を支払うのと引き換えに本件建物を明け渡す義務があるというべきである。
三 前記争いのない事実によれば、被告は原告に対し、本件賃貸借契約終了後本件建物の使用料相当損害金として月額二二〇万円を支払う義務がある。
なお、右損害金が暴利であり、公序良俗に反するとする被告の主張は理由がない。
四 よって、原告の本訴請求は原告において被告に対し立退料として四〇〇〇万円を支払うのと引き換えに本件建物の明渡しを求め、かつ、平成六年七月二二日から右明渡し済みまで一か月につき二二〇万円の割合による損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用し、仮執行の宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判官 藤村 啓)